「NYコレクション、無事開催へ」
 開催が危ぶまれてきた2003春夏コレクションが無事に開催された。今回の最大の危機の原因となったのが昨年のテロ事件、911である。
 昨年の2002春夏コレクションは、テロが起きたためラルフ・ローレンをはじめとして、途中で中断された。
 今年も通常だったら、テロの起きた9月11日がコレクションの真最中となるはずであった。
 しかし、各ブランドとも9月11日にショーを行うのは避けたいという雰囲気が強かった。とはいえ、ショーの日程はNYだけで決められるものではなくミラノやパリにも関係してくる。
 結局はロンドンとNYがショーの期間を交換することで決着。今年はロンドンからNY、ミラノを経てパリへと続く日程となった。
 しかし、NYから始まり、地球を左回りに大西洋を渡って、ロンドン、ミラノ、パリへの日程となったのは実はここ数年のこと。
 それまではロンドンを皮切りにして、ミラノ、パリと続きNYが最後となる日程だった。
 これに文句をつけたのがヘルムート・ラング。98年5月にアメリカに帰化したオーストラリア生まれのラングは、自らのコレクションをNYに移すにあたって、「ヨーロッパの後追いではなく、NYコレクションをミラノよりも早く開催すべき」と宣言。
 もともと、「ヨーロッパのコピー」と影口をたたかれ、バイヤーも先にあるヨーロッパのコレクションで資金を使い果たしてしまう、といわれたNYコレクション。
 経済力だけでなく、トレンドの発信基地としても欧州に引けを取らないと自負するNYデザイナーたちはこれに賛同。
 突然の宣言であったにもかかわらず、既にコレクションの用意ができていたダナ・キャランとカルバン・クラインがラングに同調し、ヴィヴィアン・タム、ジル・スチュアートなども含めて99年のNY春夏コレクションはミラノの前のパート1と通常通りのパート2に二回に分けて開催された。
 以後はコレクションカレンダーはNYからスタートすることとなったのである。
 そこへ降って沸いたようなテロ事件。NYは11日を避けて、9月12日からスタートすることとし、ショーの規模も縮小。
 ミラノにも協力を求めたが、前述のこともあり怒りがたまってたミラノは内心、「何でうちが、おまえのところの都合にあわせなきゃいけないんだ」と思ったのか、協力を拒否。
 「NYは自分の都合のいいように、テロを利用している」と言い出す始末。結果、NYの最終日である23日がミラノのスタートと重なるという前代未聞のコレクションカレンダーとなった。
 困るのはプレス、バイヤーとショーが重なってしまったハウス。お互いのプライドもかかわるだけに、今後にも尾を引きそうである。

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