「ハッピー30!ケイト・モス」

2004年1月、スーパーモデルのケイト・モスが30歳の誕生日を迎えました。そして、2004年は各雑誌が改めて30歳を迎えたケイト・モスを取り上げ、彼女の特集があふれた年でもありました。カルバン・クラインやバーバリーをはじめとして数多くのブランドのミューズを務め、美の象徴であったケイト・モスもついに30歳。そして、彼女も既に娘を持つお母さん。出産後、ランウェイショーに立つことはほとんどなくなりましたが、復帰後初めてショーに出演したバーバリー・プローサムの2004春夏ミラノコレクションは、それだけで話題となりました。今でも彼女が最前列に姿を見せるだけで、そのコレクションは注目を集め、キャットウォークのモデルよりも目立ったりしています。

30歳の誕生パーティには、数多くのセレブが出席し、ローリング・ストーンズのロンウッドの娘、リー・ウッドの家で開かれました。テーマは1920年代のスコット・フィッツジェラルドの小説「美しく呪われし者The Beautiful and the Damned」(ケイトが好きらしい)。出席者はステラ・マッカートニーに、グウィネス・パルトロー、サディー・フロストら。ケイト自身は青いドレスにそれに合わせたスカーフというマレーネ・ディートリヒ・スタイルで登場したと伝えられています。

このパーティは明け方まで続き、大騒ぎになって一部から批判まで出る始末。これを大衆紙が大々的に取り上げたために、身内しか知らないパーティの内容を誰が漏らしたのか、ケイトの関係者が犯人探しを始めたという噂まで流れました。

思えばケイト・モスとは不思議なモデルです。身長も170センチしかなく、これはモデルとしては、低いほうです。顔も飛びっきりの美人というわけではありません。にもかかわらず、その存在感は飛びぬけています。彼女がモデルとしてデビューしてからの15年間、彼女は常に第一線を歩んできました。それどころか、モデル情勢を革新したともいわれ、ファッション界における生きた伝説とも評されています。

1974年1月16日に生まれたケイト・モスは、14歳の時にJFK空港でモデルエージェンシーのSarah Doukasによってスカウトされ、ティーン雑誌のモデルとしてキャリアをスタートさせました。

90年代初頭に、グランジを代表する写真家の一人であったCorinne Dayは、彼女の可能性を一目で見抜き、トップレスで頭にネイティブ・アメリカンの髪飾りをつけた姿を撮影。この写真は、「The Face」誌のカバーを飾り、この瞬間「ジェネレーションX世代(懐かしい言葉)」のアイコンが誕生したといわれます。

1998年にはリハビリ施設に通っている姿が目撃され、「もう疲れたわ。モデルは嫌なの。毎回毎回、映画の『Groundhog Day(恋はデジャ・ブ。主人公のビル・マーレーは同じ一日を何度も繰り返すことになる)』みたいに同じことの繰り返しで退屈」と発言したことが話題となりました。数ヵ月後、彼女はモデルに戻るよう説得されたとされていますが、それでも彼女の輝きが衰えることなく、とくにトム・フォードがグッチに起用したのをはじめに各有名ブランドが彼女をキャンペーンモデルに採用しました。

ケイトを起用しているバーバリーのクリエイティブディレクター、クリストファー・ベイリーは「ケイトは、美が単に顔の皮一枚ではないことを証明しています。彼女はスマートで聡明であり、ビジネスも理解しています。まさに真のアイコンとしてのすべての特性を持っています」と語っています。

最初のショーでケイトを起用したマシュー・ウィリアムソンも、「私のキャリアを軌道に乗せるために彼女の存在が非常に役立った」と証言。

ヘア・スタイリストのSam McKnightは、「彼女はモデルではありません。彼女はアイコンであり、彼女は時代の顔です。彼女は、エルヴィス・プレスリー、ダイアナ妃、ジェームズ・ディーンやマリリン・モンローと同じような存在であり、彼女の顔がこの10年間を定義しました」と述べています。

さらに、シャネルのキャンペーンにモスを起用したカール・ラガーフェルドは、「私たちはケイトが時代のアイコンであることに疑問をはさみません。かつて、フランスの有名な女優は150年前に、『私は美しくはありません。私は少しずつ悪くなっています』と言いました。ケイトはまさにそれです。彼女はいつも特別で、永遠で、そしていつも正しい」と話しました。
(この女優のコメントはカールお気に入りのフレーズらしく、以前にCNNの「ラリー・キング・ライブ」にゲスト出演した時にも使っていました。美人なだけで女優になれるわけではなく、美の定義は時と共に変わり、ミス・ワールドがそのまま最高のモデルになるわけではないという意味らしいです)

そんな、ケイト・モスも30歳を迎えました。2003年には娘、リラ・グレースが生まれ、母親となり、31歳となった2005年には元Libertinesの問題児、Pete Dohertyとの交際が騒がれました。もはや、ランウェイに立つこともほとんどなく、モデル界ではジェマ・ウォードやリリー・コールといった新世代ドールモデルが話題を集めています。とくに同じイギリス出身のリリー・コールやには、常に「次世代のケイト・モス」の称号がついて回ります。

しかし、それでもケイト・モスの存在感は今も光り輝いています。もしかしたら、今後も彼女のような存在は現れないかもしれません。彼女が今後、どのようなキャリアを積み上げていくのかはわかりませんが、いつの時代でも特別な存在でいて欲しいと思うモデルがケイト・モスなのです。

[Gin and it]

 
 
●マリア・シャラポワとアーノルド・パーマー(2005.2)

●「混乱続くNYコレクション」(2004.9)

●「さよならトム・フォード、デザイナーとブランド」(2004.3)

●「スーパーモデルの復活とコレクションスキャンダル(2003.10)」

●ブランドブームの終焉?(2003.4)

●ウィノナ・ライダーが欲しかったもの(2003.3)

●ブランドとモデルと芸術家の優雅な関係(下)(2003.1)

●ブランドとモデルと芸術家の優雅な関係(上)(2002.12)

●展示会あれこれ(2002.11)

●「コレクション、パリやミラノでも混乱」(2002.10)

●ニューヨークコレクション無事開催へ(2002.9)

●雨の日にプラダの傘(2002.9)

●カルティエ銀座店訪問記(1998)

●エルメス銀座店オープン、その戦略は?(1998)

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