「さよならトム・フォード、デザイナーとブランド」

トム・フォードのラストコレクション

2004年1月14日のグッチ、ミラノメンズコレクション。1月26日のリヴ・ゴーシュのパリメンズコレクション。そして、2月25日のグッチ、ミラノコレクション。3月7日のリヴ・ゴーシュのパリコレクション。これで、トム・フォードがデザインするコレクションを当分の間、見ることは出来なくなりました。

トム・フォードの今後については不明ですが、彼は「自分は人々が思っているほど裕福ではない」と断った上で、しばらくの休養の後、映画監督になりたいとあちこちでコメントしています。これを証明するかのように、リヴ・ゴーシュのラストコレクションでは友人でもあり、「キルビル」などタランティーノ映画や「シカゴ」などで有名なミラマックスの共同会長、ハーヴェイ・ワインスタインが姿を見せていました。ハーヴェイは「私は友人として、ここにいるだけ。何もコメントできない」と答えていましたが。もちろん、トムが映画を作りたいなら、それはそれでかまわないのですが、近い将来に彼のシグネチャーブランドを見てみたい気がします。

トム・フォードの後継者

一方で、彼とドメニコ・デ・ソーレを辞任に追い込んだグッチグループの親会社、PPR(ピノー・プランタン・ルジット)は、3月11日、グッチの後継者に、レディスがトム・フォードの部下でレディスデザインチームのヘッドだったアレッサンドラ・ファッキネッティ(ミュウミュウ出身)、メンズがメンズ部門のナンバー2であるジョン・レイ(キャサリン・ハムネット出身)、アクセサリーがフリーダ・ジャンニーニ(フェンディ出身)の3人、リヴ・ゴーシュの後継者は同じくトムの右腕でプラダ出身のステファノ・ピラッティを選びました。

トム・フォードの功績

ブランドビジネスにおいて、トム・フォードの功績は数々ありますが、最も影響を与えたのは「デザイナー」ではなく、「クリエイティブ・ディレクター」という職種を普及させたことかもしれません。かつて、ブランドビジネスが拡大していく中で、デザイナーとマーケティング担当者は分離され、広告戦略などはこうしたビジネス的視点を持った人が担当するようになっていました。それをトムは、服や小物のデザインだけではなく、広告やキャンペーンフォトなどのビジュアル面から、ショップの内装まで、ブランドのイメージに関わる全てを監督していました。

彼はデザインをするだけでなく、イメージメイキングも手がけたのです。グッチのロゴを再開発し、それは服だけでなくバッグ、フレグランス、時計、サングラス、アクセサリーまで多岐に渡りました。

グッチも企業である以上、トム・フォード一人で運営していくことは出来ません。多くの名も知られていない人たちの協力があってここまでビジネスを拡大できたのだと思います。しかし、一般的にはトム・フォードがつぶれかけていたグッチというブランドにセクシーさを吹き込み、成長させたと考えています。そのイメージが重要なのです。

スターデザイナーシステムの終焉

トム・フォードは辞任に関して、「お金の問題でなく、コントロールの問題」と語っています。これまで成功してきたように、自分とドメニコ・デ・ソーレによってグッチ・グループをコントロールさせて欲しいというのが彼らの希望でした。これに対して、PPRは自分たちが買収した以上、自分たちの指示に従えと考えていたようです。

さらに、問題なのがPPRの姿勢です。トムは、PPRのセルジュ・ウェインバーグ社長は「ブランドビジネスを理解していない」と批判していました。

ウェインバーグはウォール・ストリート・ジャーナルに対して、「『プラダ』のブランド名は『ミウッチャ・プラダ』ではなく『プラダ』であり、誰もミウッチャがデザインしていることを知らない」と語っています(そーかあああ?)。また、「デザイナーとブランドのどちらが重要かの議論に、答えは出ていない」とも発言しています。

確かにマックス・マーラのように特定のデザイナーを持たず、デザインチームによる「マーチャンダイジングブランド」として成功している例もあります。また、アズプレーはフセイン・チャラヤンを抱えていますが、アイテムごとにデザイナーを置くシステムをとり、フセイン・チャラヤン自身も「一人のスター・デザイナーにすべてを任せるのは旧式のアプローチ。チーム・アプローチははるかに現代的」と語ってはいました。また、ジバンシイのようにガリアーノ、マックイーン、ジュリアン・マクドナルドと誰が来ても、それはヘップバーン・スタイルのジバンシイではないと批判される例もあります。

トム・フォードの辞任は、ブランドのスターシステムが崩壊したことの象徴という声もあります。2003年末にアルマーニは、ラグジュアリーブランドが安易に話題性だけで若手有名デザイナーを起用することを批判しました。

今回、PPRが有名デザイナーを招聘するのではなく、内部昇格を選択したことで、こうしたスターデザイナーの時代が終わりに近づいているという意見もあります。

デザイナーとブランド、どちらが重要か?

本当にそうでしょうか?

少なくとも私はそうは思いません。ジル・サンダーはジル・サンダー本人が辞任した後、苦しみ続け、彼女が復帰した後、その業績は戻りつつあります。

アルマーニの提言も(多聞にLVMHへの批判がありそうですが)、話題性だけではなく、若手デザイナーは自分のシグネチャーブランドにまずは注力すべきだという意味にも受け止められます。ロシャスはなぜ、オリヴィエ・ディスケンスを求めたのでしょうか?ケンゾーのアントニオ・マラスは?エルメスのゴルチエは?

VOGUEのアナ・ウィントゥアーは、「ラグジュアリーブランドは、それらを面白くしておくためにますますファッションを必要とします」と語っています。トム・フォードも、「デザインチーム制は、ブランドイメージを損なう」としています。WWDに対して「1つのブランドで3つの異なる声が働くという戦略は、私は理解できません。個人的意見ですが、それはラグジュアリーブランドのビジネスモデルだとは思えません。大衆ブランドならともかく、ラグジュアリーでは顧客の視点を集中させる必要があります」と指摘しています。

ラグジュアリーブランドにはデザインだけではなく歴史や伝統も求められます。そこで、重要なのは高級ブランドのイメージです。イメージ戦略の重要度は、年々高まっているのです。俳優経験もあるトム・フォードは、自らも高級ブランドにふさわしいデザイナーのイメージを演じていた気すらします(そう考えると、グッチグループのデザイナーはステラもニコラもマイヤーも、皆ビジュアル的にもそれなりのデザイナーばかりです。エルバスが採用されなかったのもそれが理由かも。違うと思うけど。マックイーンは例外?)。

もちろん、結論はすぐには出ません。どちらが正しいのか証明できるのは時間だけです。バレンシアガのニコラのように、偶然のように採用されたデザイナーが、ものすごい才能を持っていたというケースもあります。トムの後継者たちが後のスターデザイナーになる可能性もないとはいえません。しかし、それはスターシステムの崩壊ではなく、その時点で将来のスターがたまたま無名だったに過ぎません。

少なくとも、私はPPRの戦略は間違っていると思います。「デザイナーとブランドのどちらが重要か?」、答えは決まっています。デザイナーです。マークや名前だけで物が売れるほど、世の中は甘くないのです。もし、PPRがブランドのほうが重要だと考えるなら将来は明るくないでしょう。私はそう思います。

[Gin and it]

 
 

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