Christian Dior クリスチャン・ディオール France |
歴史・解説
クリスチャン・ディオールは1905年、フランスのノルマンディーで裕福な実業家の家に生まれる。外交官を志して、政治学院に学ぶが、在学中に当時、台頭していたシュールレアリスムに魅せられ、友人と画廊を開設。ダリやコクトーなど多くの芸術家と親交を深めるが、30年代の恐慌に見舞われ失職。このとき、友人からデッサンを習い、1938年、ロゲール・ピゲに見込まれてモード界に入る。後に、ルシアン・ルロンのメゾンへ移るが、46年、マルセル・ブサックと出会い、12月にクリスチャン・ディオール・オートクチュール・メゾンが誕生した。ブサックは、繊維業界で成功した大富豪で、当時「コットン王」と呼ばれていた。ディオールはプサックに「エレガントな女性と最上級な女性のためのクチュリエになりたい」と語ったと伝えられている。この時、ディオールがプサックに会いに行く途中、ディオールは道に落ちていた星型の馬車の部品につまずく。それを拾って、ポケットに入れたままメゾン設立の夢を語った。以後、星はディオールののラッキーモチーフとなる。
47年、ディオールは初のコレクションで「コロール(花冠)ライン」を発表。これを、ハーパース・バザール誌の編集長カーメル・スノウが「ニュー・ルック」と呼び、この名前が広まる。ニュールックは、丸みを帯びた肩に胸、ウエストは細く絞られ、スカートは布を贅沢に使い(戦後すぐでモノがあまりない時代に)、ペチコートで膨らませたラインが踵まで伸びる女性らしさを引き出した華麗なスタイルだった。シャネルによって機能的な美しさがアピールされた後に、ディオールはフェミニンな美しさを改めて強調したのである。
また、1948年にはアメリカにおいてライセンス生産を開始。アメリカに「クリスチャン・ディオール・ニューヨーク」という別会社を作り、そこがニューヨークの靴下会社プレスティージ社と契約し「クリスチャン・ディオール」ブランドのナイロンストッキングの製造を許可した。これが、ブランドによるライセンス生産のはしりといわれている。後にライセンスはネクタイ、下着、ソックス、アクセサリーと拡大し、80年代後半にはディオールは200を越すライセンスを抱えていた。また、同時にこの方式を婦人服にも応用しオートクチュールだけでなく、アメリカの既製服業者と組んで、ディオールのデザインによるドレスを高級既製服、プレタポルテとしてアメリカでの製造・販売を開始した。オートクチュールからプレタポルテへと拡大することで、ディオールはファッションを芸術だけでなくビジネスとしても成功させたのである。
続いて、48年にはジグザグライン、50年パーティカルライン、51年オーバル、52年シニュアス、53年チューリップ、54年Hライン、55年Aライン、56年アローラインと次々に発表し、センセーショナルを起こした。このシーズンごとに新しいラインを名づけて発表するというのもディオールがはじめたことである。これはマスコミにも受け入れやすく、一般大衆にもわかりやすくするためで、ディオールは戦後のファッション界が一部のお金持ちのためではなく、一般大衆の手にゆだねられることをこの時点で理解していたのである。1955年8月3日、ソルボンヌ大学大講堂でデザイナーとして初の講演を行う。ここで、ディオールは自らの仕事を「伝統を新しさの中に生かすこと」と語る。しかし、1957年10月24日ディオールは53歳の若さで心臓発作により急逝する。メゾンは若干21歳のイブ・サンローランが引き継ぐことになった。これにより、デザイナーの死後もメゾンは残り、ブランドを引き継ぐというビジネスモデルが成立することとなった。
サンローランは、確立されたメゾンの高度な技術に独創性を加え、初めてのコレクションでトラベーズ(台形)ラインを発表。多くの顧客に支持されたが、その後のホブル・スカート、60年秋冬の「ビートライン」は不評で、サンローランがアルジェリア戦争に徴兵されたのを機に、オーナーであるブサックは彼を解雇。マルク・ボアンをデザイナーに起用した。
マルク・ボアンは当時34歳。ジャン・パトゥのアシスタントだったときにディオールのロンドン店のデザイナーとして引き抜かれ、61年「スリムルック」、67年「サファリルック」、70年「マキシルック」で、従来からの顧客の支持を受け、デ・ドヌール賞も2回受賞した。
しかし、革新性にかけたデザインは徐々に衰退し、1968年には48年に設立された香水部門である「パルファン・クリスチャン・ディオール」がモエ・へネシー社に買収され、78年には親会社であるマルセル・ブサック・グループが倒産。ブサックは流通大手のウィロ兄弟によって救済され、アガッシュ=ウィログループに入るが、80年ブサックの死後、81年には公的救済(この時期のフランスは社会党政権)を求める事態となった。
1984年、ここにベルナール・アルノーが登場する。彼はフランスの投資銀行ラザール・フレールと組み、ついにブサック・グループを買収し、1985年4月1日、傘下のクリスチャン・ディオールを手に入れ、自らが社長となった。そして、1989年5月、次のデザイナーとして、イタリア人のジャンフランコ・フェレをオートクチュールとレディス・プレタポルテ、アクセサリーの責任者に据えた。フェレは1944年、イタリアに生まれ、ミラノ工科大学建築科を卒業。一部にはフランスのブランドがイタリア人をデザイナーに起用したことへの反発もあったが、89年7月のフェレによる初めてのコレクションである89秋冬オートクチュールコレクションにおいて、「ニュールック」をモチーフにしたデザインを発表し、デ・ドール賞を受賞。不安を吹き飛ばす。
さらにアルノーはライセンス生産も絞り込んだ。90年アルノーはLVMHの社長に就任。そして、96年ディオールは次のデザイナーとして、ジョン・ガリアーノを指名することとなる。当時、ガリアーノは同じLVMHグループの「ジバンシー」のデザイナーだった。彼はこのとき36歳、1960年ジブラルタル生まれのイギリス人で、6歳のときに両親とともに渡英。義務教育終了後、セント・マーチンスに入り、テキスタイルを学んだ後、ファッション科に移籍。卒業制作のコレクション「アフガニスタンとヨーロッパの理想」がロンドンのブティック「ブラウンズ」のショーウィンドウを飾り、好評を呼んだことでブラウンズと5年間の契約を結ぶ。デビュー当初はジャケットをボトムに使った「さかさまの服」など、アヴァンギャルドさが話題を集めた。一方で、カッティングとバイアスの確かさにも定評があり、古典や世界中の衣装から、そのときのトレンドアイテムを巧みに自分のコレクションに取り込む能力が高く評価されていた。
ディオールに移る前に2シーズンだけジバンシーのデザイナーを勤め、ついに97年春夏、初のディオールコレクションを発表。ちょうど、ディオールが「ニュールック」を発表してから50年にあたり、ガリアーノは現代版ニュールックを発表。丸い肩で胸を強調し、パッドを入れた腰に細いウエスト。スカートがミニになったのが、現代らしさを表している。また、このときのテーマは「マサイ族」であり、後にこれが香水「ジャドール」につながっていく。
2000年春夏コレクションでは、ボロ布ドレスを発表。コレクションではモデル一人につき、1体のアイテムしか使用しない(モデルは着替えずに、着るのは1着のみ)という贅沢なコレクションを開催し、オートクチュール、プレタともに、現在のトレンドをリードする一人である。メンズは、ディオール・ムッシュのチーフデザイナー、パトリック・ラヴォワを経て、2001年1月からはイブ・サンローラン・リヴ・ゴーシュから来たエディ・スリマンが「ディオール・オム」を担当。
エディ・スリマン(Hedi Slimane)は1968年パリ生まれ。1997年、イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ オムのアーティスティック・ディレクターに抜擢され、2001-2002秋冬コレクションより、ディオール・オムのクリエイティブ・ディレクターを務める。2003年7月3年間の契約延長をし、メンズフレグランスのクリエイティブ・ディレクターも兼任する。日本でディオール・オムを扱っているのは、銀座、表参道、神戸、新宿伊勢丹、名古屋松坂屋、岩田屋の6店。
2004年7月、2005年春夏パリ・メンズコレクションにあわせてエディ・スリマンによるディオール・オムの新作フレグランス、Eau Noire、Cologne Blanche、Bois D’Argentの3つを発表。ディオール・オムのブティックなど全世界16店で発売される。価格は、500mlが160ユーロ、125mlが80ユーロ。また、12月には香料入りのろうそくが発売。Cologne Blancheは、ローズマリー、オレンジ、バーガモント、バニラノートを含み、Eau Noireは、普段エディ・スリマン自身が着用している香りで、バニラ、ラベンダーなど。Bois D’Argentは、ウッディ・フレグランス。2006年クリスチャン・ディオールの59年の歴史の中で初のメンズ・ビューティラインとなるメンズスキンケアライン「Dermo System」を開始。
2006年の後半からディオールとエディ・スリマンの契約交渉が難航しているとの噂が流れ、スリマンの契約は2006年7月に終了したが、更新されず、以後、交渉が続いていた。2007年3月、クリスチャン・ディオールは、Kris Van Asscheがディオール・オムのアーティスティック・ディレクターに指名されたと発表。クリスチャン・ディオール・クチュールのSidney Toledano社長兼最高経営責任者は、「私たちが既に持っている高品質チームとともにKris Van Asscheがディオール・オムの開発を行うことを発表できて、私は嬉しく思います」と述べた。
辞任直後にエディ・スリマンのコメントは発表されなかったが、2007年4月、エディは自分のサイトで「私は、一緒に仕事をしたミュージシャン、モデル、写真家、私のデザインを製造した人々、私のコレクションを支援した小売り業者すべてに感謝します。私はベルナール・アルノーに感謝します。彼は私を信頼して、このプロジェクトを私に任せてくれました。私はそれを開発できて幸せでした。彼が今でなくてもいつの日か私の決定を理解してくれることを望みます。今、私は、私の主義と私が持っているファッションについての考えに忠実にあることが非常に重要であると思いました。私はディオールからの親切な提案を拒否し、新しいディオール・オムの契約を断わる以外に選択権はありませんでした。2月の私の最後のショーの直後にこれを明らかにし、ロサンジェルスへ発ちました。私は、ディオールから去り、別な行動をすることを決定しました」とのコメントを明らかにした。また、2007年5月のLVMH株主総会では「なぜ、Hedi Slimaneはディオール・オムを去ったのか」という質問があり、ベルナール・アルノーはスリマンを引き留めるためにあらゆる努力をしたと言い、「彼は、私たちの経済的援助を得ずにシグネチャーブランドを開始できると考えたようです。私は、彼の新しい活動の成功を祈ります」と答えた。
アッシュは2007年夏の2008春夏パリ・メンズコレクションで最初のディオール・オムを披露。アッシュはプレタポルテとアクセサリーを担当し、エディ・スリマンが手がけていたフレグランスとスキンケアは含まれない。「クリスチャン・ディオールはクチュールの絶対的なイメージがあり、アトリエの遺産およびユニークなこの家に参加できて、私は非常に嬉しい。この仕事は私の強力なベースになるでしょう」とアッシュ。
クリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)は1976年、ベルギー生まれ。98年、アントワープ王立芸術アカデミー卒。エディ・スリマンのアシスタントとして、イヴ・サンローランとディオール・オムを7年間手がけ、2005年1月にはシグネチャーブランドを開始。2005年秋冬のパリ・メンズコレクションでデビュー。2007年春夏のコレクションでは、初めてレディスを数点発表した。シグネチャーラインは今後も継続される。
2009年10月末、ルイ・ヴィトンのコスチューム・ジュエリー・デザイナーだったCamille Miceliがクリスチャン・ディオールにおけるコスチューム・ジュエリーラインのアーティスティック・ディレクターとレザーグッズラインのマネージメント・アーティスティック・アドバイザーに就任。
Miceliは1971年生まれ。複数の有名ブランドでのプレスを経て、シャネルで7年を過ごした後、ヴィトンに参加。PR部門を率いている時に友人であるマーク・ジェイコブスが彼女の創造性に目をつけ、2004年春ヴィトンで最初のコスチューム・ジュエリー・コレクションを発表。ディオール・ファイン・ジュエリー部門のトップは引き続きVictoire de Castellaneが務める。
2009年12月、ディオール・オムのクリエイティブディレクター、クリス・ヴァン・アッシュは女性のための新ディオール・オム・デニムを発表。コレクションは「Petite Taille」(スモール・サイズ)と名づけられ、2010年に開始。ディオール・オムにおける初のレディスとなる。「ディオール・オムは常に女性にアピールしていました。したがって、私たちはディオール・オムジーンズのレディス・バージョンを発売することに決めました」とアッシュ。Dior Homme Petite Tailleデニム・コレクションは2010年初めに全世界のディオール・オムショップで発売され、価格は270-785ユーロ。
2011年2月24日の夜、ジョン・ガリアーノがパリのマレ地区のバー、La Perleでカップルに対し、ユダヤ人差別の発言を行ったとして逮捕された。ディオールはこれを受け、ジョン・ガリアーノのディオールでの活動休止を発表。「ディオールは人種差別主義的発言および行動を禁止しています。真実が明らかになるまで、クリスチャン・ディオールはジョン・ガリアーノの活動について休止させました」とディオールの最高経営責任者シドニー・トレダノ。その後、英大衆紙のThe Sunは自社のウェブサイトで2010年10月にガリアーノがLa Perleでユダヤ人差別発言をしているビデオを公開。このビデオでは明らかに酔っているガリアーノが女性に向かって、「アイ・ラブ・ヒトラー。あなたみたいな人たちは死ぬべきです。あなたの母親もあなたの祖先もガス室で死にました」と話している。
その後、クリスチャン・ディオールはジョン・ガリアーノを解任。「私は、ジョン・ガリアーノの発言を強く非難します。それはクリスチャン・ディオールが常に保持していた本質的な価値観と完全に矛盾します」とディオールの社長兼CEO、シドニー・トレダノ。ガリアーノに直ちにリハビリ施設に入院した。
2012年4月9日、クリスチャン・ディオールはラフ・シモンズがジョン・ガリアーノの後任としてアーティスティック・ディレクターに就任したと発表。ラフ・シモンズはオートクチュール、レディスのプレタポルテ、アクセサリーを担当。最初のコレクションは7月の2012年秋冬パリ・オートクチュールコレクションで披露され、ラフ・シモンズ自身のメンズラインは今後も維持される。また、クリス・ヴァン・アッシュはディオール・オムのデザイナーに留まる。ディオールは声明で新デザイナーが「21世紀のアイコニックなスタイルを推進する」と述べた。「最初にディオールでのポストについて聞かされた時、私は正しいと感じました。ディオールに行くというということは究極の挑戦であり夢の一つです。ディオールは絶対的な優雅さ、驚くべきフェミニンさ、完璧なラグジュアリーを表します。私はまだ、アーカイブを見ていません。しかし、私にとってディオールの最初の10年は非常に大きなインパクトがあります。それをどのように21世紀につなげるかです。ムッシュー・ディオールは非常に革新的でした」とシモンズ。
ラフ・シモンズは1968年、ベルギーのNeerpeltに生まれ、家具デザイナーとしてデビュー。1995年に自分のブランドを開始し、ミラノで1シーズン発表した後、パリに移動。2000年にはウィーン大学応用美術の教授に就任。2003年にはスイス・テキスタイル・アワードを受賞。2006秋冬コレクションから2012年秋冬まではジル・サンダーのデザイナーを務めていた。
日本での展開
日本国内では、1953年に大丸と提携してファッションショーを開催して進出。ちなみにこのショーは日本で始めて行われたファッションショーともいわれている。その後、カネボウが独占販売権を獲得。長くライセンス生産を行っていたが、LVMH社のライセンスを絞る方針により、97年2月7日ディオールはカネボウとの契約を同年4月30日に解消すると発表。自ら輸入品を販売することとなり、97年秋冬をもってライセンス生産は終了した。当時、カネボウのディオール関連売上は500億円に上るといわれており、紳士・婦人服だけでなく、ストッキングやソックス、ベビー服、本国にはないゴルフウェアまで多岐にわたっていた。これを失ったカネボウは5日後の2月12日、ランバンとライセンス契約し、ストッキングやインナーに関してはクロエと契約した(クロエは、LVMHとならぶブランドグループ、リシュモン系列)。ちなみにこのとき、ディオールのライセンス品のデザインをしていたのは、パリコレにも参加していたコウジ・ニホンマツ(二本松幸司)。カネボウは彼をそのまま、ランバンのライセンスにおけるデザイナーにスライドさせた。
クリスチャン・ディオール(ジャポン社)は97年、銀座・並木通りに旗艦店をオープン。ガリアーノも来日した。余談ですが、私はこのときに、ガリアーノとお会いしたんですが、身近で見るとあまりカリスマ性も感じずに、普通の陽気な外人のお兄さんって感じでした。私と一緒にオープンニングパーティに行ったある人は私に、ガリアーノを指差しながら、「あのラフな外人は誰だ?」と聞いてきたぐらいです。ガリアーノとは気づかなかったらしいです。
2003年3月6日、ディオール・オム初のショップが伊勢丹新宿にオープン。同年6月革グッズの新シリーズ「ハードコア・ディオール」を発表。バッグの素材は柔らかいシルクジャージーながら、金具で全体を引き締めた新ライン。
2003年12月7日には青山に銀座を上回るLVMHの拠点とも呼べる、ブティックをオープン。建設中から、それを覆うボードでシーズンごとのコレクションを発表し存在感を発揮。これまでに後藤久美子、長谷川理恵、宮沢リエらがディオールの最新ファッションをまとってこのボードに登場した。屋上にはディオールのラッキーモチーフである「星」が飾られる。地上4階、地下1階にメンズ(ディオール・オム)、レディス、バッグ、シューズ、ファインジュエリーまでそろうフルラインショップ。地下1階がディオール・オム。1階にアクセサリー、革小物。2階に婦人服、ジュエリーにVIPルーム。3階が世界最大面積の化粧品売り場。初めて、エステティックやネイルカラーのコーナーも設ける。化粧品売り場は約220平方メートルで、ファッションショーの楽屋裏をイメージした内装。エステティックやメーキャップ、ネイルカラーはいずれも有料で、ファッションショーのイメージを生かした化粧やマニキュアなどをしてもらえる。口紅やマニキュアを組み合わせた「表参道ニュールック」(1万3200円)などの日本限定品やフレグランス「クリス1947」も先行発売する。4階がイベントスペース。
表参道店限定バッグは「Dior Star」。カラフルなプリントにCDのロゴ、モチーフの星が付けられたもの。同時に同モチーフのキーケース、財布も先行発売。また、同時に日本限定発売のリング「Star」も500個限定で発売される。その他、ディオール・オムでも1点モノの限定品が発売される予定。また、新作のピンクロゴライン「ガーリー」も手に入る。
2004年10月24日には銀座晴海通り店がオープン。近藤書店などが入居していたビルの地下1階から地上6階に入居。設計は乾久美子。5-6階には展示スペース、「ディオール・ミュージアム」も。総面積は約1380平方メートル。表参道の世界最大店(1485平方メートル)に次ぐ規模になり、新店は高級既製服やバッグ、小物類、高級宝飾品、紳士服「ディオールオム」の専用売り場も設置。銀座店オープン記念品は、「ゴルメット・ドゥ・ディオール」からピンクゴールドの限定リングを発売。限定150個で、シリアルナンバーとGINZAの刻印入り。並木通り店は閉店する。
2005年4月28日、大阪・心斎橋に西日本最大級の旗艦店、心斎橋店をオープン。地上2階地下1階で御堂筋に面しており、店の前面にはディオール本人の時代から店内の椅子などに用いられたカナージュ模様が施され、店内には、顧客専用の部屋も用意。オープン記念の限定品「レディ・ディオール」は1950年代のパリの風景や女性の顔がプリントされたもので、大(15万5400円)、小(13万4400円)2種類、計130個を販売する。
日本でのディオールの売上は全世界の15%を占めている。
ショップリスト
旗艦店
銀座店
東京都中央区銀座5-6-1 Tel 03-5537-8211
営業時間:11:00-20:00 無休
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES, FINE JEWELRY
表参道店(2003年12月7日、オープン)
東京都渋谷区神宮前5-9-2
TEL 03-5464-6260(1Fレディス)、03-5464-6261(2Fレディス)、03-5464-6262(2Fファインジュエリー)、03-5464-6220(3Fビューティ)、03-5464-6263(B1Fディオール・オム)。
営業時間 11:00-20:00
建築家、妹島和世と西沢立衛による総ガラス張りの地下1階、地上4階の建物。
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES, FINE JEWELRY
心斎橋店
大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-9-17 エトワール心斎橋 Tel 06-6120-6641
インショップ
丸井今井札幌本店 大通り館6F
北海道札幌市中央区南1条西2丁目 Tel 011-205-2502
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, ACCESSORIES
千葉そごう4F
千葉県千葉市中央区新町1000 Tel 043-245-8198
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, ACCESSORIES
池袋西武
東京都豊島区南池袋1−28−1 Tel03-5992-0082
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
銀座松屋1F
東京都中央区銀座3−6−1 Tel03-5250-9200
ACCESSORIES
銀座松屋4F
東京都中央区銀座3−6−1 Tel 03-5250-9221
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, ACCESSORIES
帝国ホテル店
東京都千代田区内幸町1−1−1 帝国ホテル1F Tel 03-3591-6695
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
日本橋三越3F
東京都中央区日本橋室町 Tel 03-3278-9507
REAADY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
新宿伊勢丹4F
東京都新宿区新宿3−14−1 Tel 03-3355-0324
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
新宿小田急
本館1F 東京都新宿区西新宿1-1-3 Tel 03-5323-6535
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
高島屋横浜
神奈川県横浜市西区南幸1-6-31 Tel 045-313-3872
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
横浜そごう 2F
神奈川県横浜市西区高島 2-18-1 Tel 045‐465‐2814
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, ACCESSORIES
京都高島屋 2F
京都府京都市下京区4条通り河原町西入間町52 Tel 075-252-7922
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
軽井沢アウトレット(軽井沢ショッピングプラザ)
長野県北佐久群軽井沢町軽井沢 Tel 0267-42-5211
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
名古屋松坂屋 2F
愛知県名古屋市中区栄 3-16-1 052‐264‐2441
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
うめだ阪急4F
大阪府大阪市北区角田町8-7 Tel 06-6367-3632
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
うめだ阪急1F
大阪府大阪市北区角田町8-7 Tel06-6367-1221
FINE JEWELRY
心斎橋大丸2F
大阪府大阪市中央区心斎橋筋 1-7-1 Tel 06‐6253‐1770
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
高島屋大阪
大阪府大阪市中央区難波5-1-5 Tel 06-6633-2815
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
神戸店
神戸市中央区海岸通り Tel 078‐333‐4030
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
広島福屋レディース1F
広島県広島市中区恵比寿町6−26 Tel 082-246-6681
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, SHOES, ACCESSORIES
岩田屋本館1F
福岡市中央区天神2-5-35 Tel 092-721-1111
READY TO WEAR, LEATHER GOODS, ACCESSORIES
ディオール・オム
新宿伊勢丹新館3F 東京都新宿区新宿3−14−1 Tel 03-3352-1111
松坂屋名古屋本館2F 愛知県名古屋市中区栄 3-16-1 052‐264‐2441
岩田屋本館1F 福岡市中央区天神2-5-35 Tel 092-721-1111
ディオール 03-3263-2266
Dior(英・仏語のみ)
オム、ウィメン、ジュエリー、フレグランス、スキンケア、メイクアップから選択。
コレクション情報やオムのイメージによるスクリーンセーバーなどがあります。ショック・ウェーブを使ったエディ・スリマンらしいお洒落なサイトなんですがちょっとわかりにくいかも。
ウィメンはFUNKY FOLKLOREといったトレンド情報やコレクションなど、オムよりもわかりやすいです。
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