Gianfranco Ferre ジャンフランコ・フェレ Italy

歴史・解説

フェレは1944年8月15日、イタリア北部のルガーノ(Legnano)に生まれ、ミラノ工科大学建築家を卒業。首席を務めるほど優秀な学生だった。当初インテリアメーカーのデザイナーをしていたが、ミラノファッション界の権威、ウォルター・アルビーニの装身具をデザインしたことから、アクセサリーデザイナーとしての名声を高める。1974年にへ移籍。その後、フィオルッチのTシャツデザインで頭角を現し、スポーツウェアなど服のデザインも手がけたあと73年バイラ(Baila)社からコレクションを任される。78年、自らの名「ジャンフランコ・フェレ」で、プレタポルテ・コレクションを発表。4年後最初のメンズコレクションを発表。5回ロッキオ・ドーロ賞を受賞。建築家の特性も生かした構築的な造形美で評価を高める。

80年代、各国のファッション評論家が選ぶ「ゴールデンアイ賞」を8年間で5度受賞。「キング・オブ・シャツ」や「イタリア・ファッションのフランク・ロイド・ライト」とも呼ばれた。

本体のフェレ以外にもディヒュ-ジョンの「ステューディオ000・1バイ・フェレ」、カジュアルの「オークス・バイ・フェレ」、90年からの「フェレ・ジーンズ」にフレグランスや皮革製品も手がける。

89年「ディオール」のデザイナーに抜擢され、同年7月のフェレによるディオールの初めてのコレクションである89秋冬オートクチュールコレクションにおいて、「ニュールック」をモチーフにしたデザインを発表し、デ・ドール賞を受賞。96年まで、ディオールのデザインを手がける。

2000年にはTonino Pernoグループがフェレ社の株式、90パーセントを購入。2005年、大韓航空の新制服をデザイン。フェレが航空会社の制服をデザインするのは初めてで、新制服は10月から登場。2007年3月ミラノのBrera Academy of Fine Artsの学長に就任。

2007年6月17日、ジャンフランコ・フェレがミラノの病院で脳溢血のため、死去した。62歳。フェレは15日に具合が悪くなり、San Raffaele病院の集中治療室に入院。その後、急激に病状が悪化した。最後のコレクションとなった2月のプレタポルテでは英国のシンガー、SkinとフランスのモデルでキャンペーンモデルでもあるPatrick Petitjeanが登場していた。「ジャン・フランコ・フェレについて考えた時、私の心に浮かぶイメージは市民(A civil man)です。彼は常に威厳ある平静な人でした」とジョルジオ・アルマーニ。「私は常に彼の作品を観察し、彼の流行哲学、芸術性を賞賛していました。彼はいつでも紳士で、偉大なクチュリエで、洗練を作成する方法を知っていたファッション・デザイナーでした。彼は、ファッションの歴史の一部のままでしょう」とドナテッラ・ヴェルサーチ。

2007年9月、後継デザイナーにLars Nilssonを起用。

ニルソンは1967年スウェーデン生まれ。パリのEcole de la Chambre Syndicale de la Coutureを卒業。シャネルでインターンとして勤めた後、クリスチャン・ラクロワでシニア・オート・クチュール・デザイナー、ディオールでオートクチュールのコーディネーターを経験。NYでラルフ・ローレンのレディス・コレクションを手掛け、2000年から2003年にはビル・ブラスのクリエイティブディレクターに就任。2003年から2006年にはニナ・リッチのクリエイティブディレクターだった。

ニルソンは、メンズ・レディス・アクセサリーのコレクション、すべてを担当する予定だったが、2008年1月の2008年秋冬メンズ・コレクションをプレゼンテーション形式で発表したのみで、2008年2月わずか5カ月で辞任した。

2008年3月、フェレはレディスラインの新クリエイティブディレクターにTommaso Aquilanoと Roberto Rimondiを指名したと発表。二人は2月に辞職したラーズ・ニルソンの後任として9月の2009年春夏コレクションでフェレの最初のデザインを披露。「私たちはジャンフランコ・フェレのような偉大なブランドを手がけることができて光栄です。私たちは卓越したクチュリエから常にインスピレーションを得ていました。フェレは常に私たちの中でトップのステータスを持っています」とAquilanoとRimondi。「私は、Tommaso AquilanoとRoberto Rimondiにジャンフランコ・フェレを理解する才能があると確信しています」とフェレを所有するIT Holding SpAのTonino Perna会長。「Tommaso Aquilanoと Roberto Rimondiはクールなクラシックとコンテンポラリーなフェミニンを自在に行き来します。彼らのデザインは正確で、その確実な感触はフェレが常に支持したものに相当します」とジャンフランコ・フェレSpAのCEO、Michela Piva。

Aquilanoはイタリア・San Severo di Pugliaで生まれ、Rome Fashion and Costume Academyを卒業。Rimondiはイタリア・ボローニャ出身でミラノのCarlo Secoli Instituteを卒業。二人は1988年に出会い、Italian VogueとAlta Romaがスポンサーになっている「Who's on Next」に優勝。マックスマーラを経て、2005年に6267を設立。2007年には250店で展開され、400万ユーロの売り上げを記録している。2007年春夏コレクションからはMaloのクリエイティブ・ディレクターも務めている。二人は6267は継続するものの、Maloのクリエイティブ・ディレクターは辞任。MaloはAlessandro Dell’Acquaがデザイナーに就任した。

2009年1月、当初Tommaso Aquilanoと Roberto Rimondiはレディスラインのみのクリエイティブディレクターだったが、新たにメンズウェアのクリエイティブディレクターにも起用され、2009年秋冬ミラノ・メンズコレクションで初のメンズラインを発表。

2010年春夏からはダミアーニ・グループと提携し、高級ジュエリーコレクションを作成。フェレのクリエイティブディレクター、Tommaso AquilanoとRoberto Rimondiはフェレの特質に合わせたインスピレーションから新コレクションの作成を監督する。

2011年2月、ドバイのParis Groupが買収。フェレは2009年2月に破たんした後、2010年6月から購入者を探していた。2011年4月、ジャンフランコ・フェレの新オーナー、ドバイのParis Groupはフェレのクリエイティブディレクター、Tommaso AquilanoとRoberto Rimondiを退任させた。関係者からの情報によると、2011年秋冬の売上が予想を下回っており、Paris Groupはより有名なデザイナーを求めているという。フェレのCEO、Michela Pivaは残留する模様。Paris Groupの所有者、Abdulkader Sankariの息子で副社長のAhmed Sankariは3年間で中国、中東、ロシアを中心に新たに50店を出店し、メンズウェアを拡大するとともに、アクセサリービジネスを育成する方針を示していた。

アルマーニ、ヴェルサーチと並んで、ミラノの3Gと呼ばれ、日本でもバブル時期にこの3ブランドを着ていれば、それだけでおしゃれといわれた時期がありました。

日本では1980年から導入され、西武百貨店の子会社、エルビスによって展開されていたが、西武の再建計画の一環により、2003年春夏からオンワード樫山に移転した。

2008年1月マロニエ通り沿いのデビアス銀座ビル1階に銀座店をオープン。

 

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