Gieves & Hawkes ギーブス&ホークス England

解説・歴史

スーツの聖地、ロンドンのサヴィル・ロー1番地に店を構えるギーブス&ホークス(Gieves & Hawkes)は、エリザベス女王、女王の夫君エディンバラ公フィリップ殿下、チャールズ皇太子と3つの英国王室御用達(ロイヤルワラント・Royal Warrants)に指名されているイギリスを代表するテーラー。

ギーブスは1785年、ホークスは1771年設立。1809年、当時、ベルベット・キャップ・メーカーだったトーマス・ホークス(Thomas Hawkes)がジョージ3世から御用達を受けて以来、200年以上にわたって、王室御用達を続けている老舗。

トーマス・ホークスの顧客には、リージェント王子(Prince Regent、後のジョージ4世。ロンドンのリージェント・パークやリージェント・ストリートは彼にちなんで名づけられた)もおり、ある日曜日に王子がトーマスを呼びつけると、トーマスは「私は1週間のうち6日間は王に仕えるが、安息日は神に仕える」と言って、それを断り、メッセンジャーを送り返した。リージェント王子はこの拒絶にも怒らず、その後も御用達を継続させたという逸話も伝えられている。

その後、英国陸軍に制服を供給。18世紀にはネルソン提督、ウェリントン公、19世紀には冒険家のデヴィッド・リヴィングストン(David Livingstone)やヘンリー・モートン・スタンリー(Henry Morton Stanley)らが顧客に名を連ねた。

一方、ギーブスは、海軍のテーラーとして有名になり、1878年、ウィリアム・S・ギルバート(W S Gilbert)が作曲家、サー・アーサー・サリバン(Sir Arthur Sullivan)とオペラ「HMS Pinafore(軍艦ピナフォア−水兵に恋した娘)」を上演する際、海軍の服装についてギーブスにアドバイスを求めたとされる(ギルバート&サリバンはオペラ「ミカド」の製作者としても有名)。

第1次世界大戦に先立ち、ギーヴスは膨張式の人命救助ベストを開発し特許を取得。このベストのオリジナルは現在、ハンプシャーのBeaulieu博物館に展示されている。20世紀初頭には、日本海軍がギーブスに制服を発注。

1975年、ギーブスとホークス合併。1912年からサヴィル・ロウ1番地に店舗をかまえていたホークスにギーブスが移る形で再スタートを切る。英国陸軍の服の仕立て屋だったホークスと海軍仕官の仕立て屋だったギーブスが合併したことにより、英国の海軍・空軍・陸軍のユニフォームにアクセサリーの製作に加え、パブリックスクールの制服の製作で、英国上流社会に溶け込み、英国人に最も愛されるブランドとなる。現在でも英国の海軍・空軍・陸軍のユニフォーム製作は継続しており、軍関係者はギーブス&ホークスで注文できる。

1981年、チャールズ皇太子の結婚式のコスチュームを担当。スーツの顧客には、ピーター・セラーズ、ロジャー・ムーア、コリン・ファースらがいる。

本社と旗艦店があるサヴィルロー1番地は、Fairfax家が1732年に設立。1871年、Royal Geographical Societyに所有権が移り、1912年ホークスが取得。1926年には、コレクション・ライン(既製服、レディ・トゥ・ウェア)を開始。さらに、ビスポークとコレクション・ラインの中間にあたる「パーソナル・テーラリング・システム」も提案。現在でも、サヴィルロー1番地はビスポークのワークルームとして、デザイン、ホールセール、マーケティングとマネージメントチームの拠点として存続されている。

2005年4月からJoe-Casely Hayfordが参加。2006秋冬コレクションから、クリエイティブ・ディレクターに就任。

2005秋冬のキャンペーンにはGQのエディター、Dylan JonesとAnother magazineのエディター(というよりケイト・モスの元恋人で彼女の娘、 Lila Graceの父親)であるジェファーソン・ハック(JEFFERSON HACK)が登場。撮影はデヴィッド・ベイリー

日本では、メルボ紳士服で展開されていたが、2004年9月、ギーブス&ホークスは、ダイドーと日本でのプロモートおよび販売を手がけるギーブス・アンド・ホークス・ジャパンを設立することで合意。日本国内において英国の伝統的オーダーメイドの技術を用いた「ギーブスアンドホークス」ブランドの既製、オーダーメイドのスーツおよびシャツ、ネクタイ、アクセサリーなどを販売する。新会社は、2005年秋から販売を開始し、ギーブス・アンド・ホークスのプレタコレクションだけでなく、より若い層をターゲットにした「Gieves」ラインも2006秋から展開する。2006年2月11日表参道に旗艦店をオープン。

Joe Casely-Hayford(ジョー・ケイスリー・ヘイフォード)
1956年、英国ケント生まれ。祖父は汎アフリカ主義を唱えたガーナ人政治家、ケイスリー・ヘイフォード。この祖父にちなんで名づけられ、法曹界や政治家の多い家系の伝統を破り、ジョーは幼少のころから関心を抱いていたアートとファッションの分野に進む。

ロンドンのテイラー&カッター・アカデミー卒業後、テイラー、Dougie Hayward(ダギー・ヘイワード)のワークルームでテーラリングの基本を修行。その後セントラル・セントマーチンでファッションデザインを学び(ガリアーノが同期)、ICA(インスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アート)で美術史の修士号を取得。

1984年、自らのブランドを開始し、1986年、ロンドンファッションウィーク(ロンドン・コレクション)でランウェイデヴュー。同時にJoe Casely-Hayfordウィメンズウェアコレクションをスタートさせる。1996年、メンズウェアコレクションをパリコレクションに移動。2004年までウィメンズウェアはロンドン、メンズはパリで披露するという形が続く。

確かな技術と、ストリートスタイルにエレガンスを加えたといわれ、彼の作品はニューヨークのメトロポリタン・ミュージアム・オブ・アート(MOMA)やロンドンのデザインミュージアム、V&A、ファッション&テキスタイルミュージアムに展示される。Joseph(ジョセフ)やイタリアのブランド、Panchetti(パンチェッティ)のデザインを手がけ、英国音楽業界との深い関係でも知られており、Island Records(アイランド・レコーズ)のスタイルコンサルタントとしての多くのアーティストの衣装を手がける。The Clashの衣装デザインを託された後、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピー、ルー・リード、リサ・スタンスフィールド、ヘレナ・クリスチャンセン、ロビー・ウィリアムス、ジョージ・マイケル、オアシスのLiam Gallagherの衣装を担当。1991年には、U2のワールドツアーの衣装を手がける。2002年にはデニムラインを開始したものの、2004年には彼自身のコレクションを休止。その後は、数々のプロジェクトデザインのコンサルタント、文筆業などを行っていた。



英国紳士服だけでなく、スーツの聖地であるサヴィルロー。ヘンリー・プール(サヴィルロー15番地)など、数々のテーラーが立ち並ぶ中でも、個人的には真っ先に思い浮かぶのがこのギーヴス・アンド・ホークスです。あのアレキサンダー・マックイーンが修行したテーラーとしても知られており、男性ならば、いつかはここでスーツを仕立てたいと考えている人も多いのではないでしょうか。いわゆるサヴィルロー仕立てだけではなく、より若い層をターゲットにPITTI UOMOで発表されている「Gieves(ギーブス)」も展開しています。安易にモードブランドと比較するのは難しいですが、ある人が、「アルマーニがフェラーリだとしたら、ギーヴス・アンド・ホークスはベントレーです。その2つのイメージはとても異なりますが、どちらも高級でスタイリッシュです」と語っていましたが、この言葉がすべてを表しているような気がします。

「あなたがなにを注文するかに関係なく、我々は最高のサービス、最高の服、最高の買い物体験を提供することを約束します」ギーブス&ホークスのChief Executive、Mark Henderson。

公式サイト

Gieves and Hawkes(英語のみ)

歴史や最新のコレクションなどを紹介。

ショップリスト

旗艦店
表参道店 東京都渋谷区神宮前4-12-10 TEL 03-5785-0711
森ビルが開発を進める旧同潤会青山アパートの建替事業「表参道ヒルズ」2階に2006年2月11日旗艦店をオープン。

ロンドンで修行をしたカッターが行なうテーラリング(ビスポークとパーソナルテーラリングシステム)やコレクションラインに加え、、より若い層をターゲットにした「Gieves(ギーブス)」を2006秋に日本初出店。

インショップ
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