HARRY WINSTON ハリー・ウィンストン U.S.A.

歴史・解説

創業者、ハリー・ウィンストンはニューヨークの宝石商の息子として1896年誕生(1978年没)。父親、ヤコブ・ウインストンは1890年、ニューヨークに宝石店を開いていた。幼いころから宝石の真価を見分ける優れた能力をもっていたハリーは、12歳のとき、ある店で25セントの緑の石を購入。その石が、2カラットのエメラルドだと見抜いていたハリーは、宝石商を営む父のもとに持ち帰った。2日後、石は800ドルで売却された。この話は同社において伝説のように現在でも語り継がれているという。

15歳のときにはロサンゼルスに居を移して店を開いた父親の宝石店で仕事を始め、1920年、24歳のときにプレミア・ダイヤモンド社をニューヨーク五番街535番地に設立。第一次世界大戦後、ヨーロッパ貴族が市場に売りに出した華やかで装飾過剰なジュエリーをモダンにリメイクし、当時の新興富裕層のステイタスシンボルとなるシンプルなデザインのジュエリーを制作した。1925年にはアメリカの大富豪ストダート夫人の遺産コレクションを落札。そのコレクションを125万ドルという当時として破格の値段で売却することに成功した。ここでの成功と手にした収入から、ハリーは彼が目指す世界の富裕な人々が所有する極上の宝飾品を扱う宝石商へと歩みを進める。

1926年にはアメリカの鉄道会社創設者であったハンティントン夫人のコレクションを120万ドルで落札、1930年にはアメリカの公開競売場に出たもののなかでは最大といわれる39カラットのエメラルドカットのダイヤモンドの落札に成功。1932年にはプレミア・ダイヤモンド社を閉鎖し、新たにハリー・ウィンストン社をニューヨークの51番通り東に設立。高額の宝石を売買、リメイクするだけでなく、自らのデザインによる宝飾品の制作を本格的にスタートする。1933年、ハリー・ウィンストン、エドナと結婚。1943年、アカデミー賞の授賞式に着用するジュエリー貸し出しを、他の宝石ブランドに先駆けてハリーが提案。1947年にはキャサリン・ヘップバーンが、インクイジション・ネックレスを身につけて授賞式に出席した。1949年、大きな宝石の巡回展「宝石の宮廷」展を開催。1951年、127.01カラットのダイヤモンド「ポーチュギーズ」を購入。1955年、ジュネーブ店オープン。1958年、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館に、フランス国王ルイ14世、マリー・アントワネット妃も所有したといわれ、身に付けた人全員が不幸になったというブルーダイヤモンド「ホープ」を寄贈。イランのシャー、モハメッド・レザ・パーレヴィ・アリャミールと、イランのシャンバノウファラとの結婚に際し、ヌル・ウル・アイン・ティアラを作成。

1960年、ニューヨーク五番街718番地に移転。パリのルーブル美術館にて「フランス王室の宝石」の展覧会を開催。ナポレオン1世がハプスブルグ家のマリー・ルイーズ皇后に贈った総計275カラットのダイヤモンドネックレス「ナポレオン・ネックレス」を購入。1962年、インド人ジュエリーデザイナーのアムバジ・シンディをハリー・ウィンストン社のチーフデザイナーに指名。1966年、241カラットのダイヤモンドの原石を入手。この原石から、69.42カラットのペアシェイプのダイヤモンドをカットし、後にバートンが女優エリザベス・テイラーのプレゼントに購入したことから、「テイラー・バートン」と名づけられる。

1972年、ダイヤモンド原石のなかで、史上3番目の大きさの970カラットのダイヤモンド「スター・オブ・シエラレオネ」を購入。ジュエリー・カッターのラザール・キャプランにより、総計で238.43カラットの重量 をもつ、総数17個のダイヤモンドにカットされる。

1978年、ハリー・ウィンストン、ニューヨークにて死去。享年82歳。ハリーの息子、ロナルド・ウィンストンがハリー・ウィンストン社代表取締役に就任。二代目のロナルドは時代に合ったビジネスを広げ、クオリティの高い1カラットの指輪を作り、若い世代も獲得。自宅に日本庭園や茶室を設けるなど日本の伝統文化を愛する親日家としてもよく知られるロナルドは、1988年、ホテル西洋銀座に日本初のサロンを開く。同年、時計部門を新設。1989年、腕時計シリーズ「アルティメイト・タイム ピース」をスタート。1994年、貴金属ロジウムを使った腕時計「ガラテ」を製作。1997年9月20日、スミソニアン博物館にハリー・ウィンストン・ギャラリーがオープン。1998年、大阪にサロンをオープン。2000年9月25日には、東京旗艦店が銀座1丁目の読広新社屋にオープン。

2004年、ハリー・ウィンストンはアバー・ダイヤモンド・コーポレーションに買収される。アバーはダイアヴィック鉱山に出資し、ティファニー社に年間最低5千万米ドルのダイヤモンドを販売する、カナダ最大級のダイヤモンド・マイナー。

2006年2月表参道ヒルズ本館1階に表参道ヒルズ店をオープン。銀座・大阪に次ぐ3店舗目となる表参道ヒルズ店は、新コンセプトを導入し、ブロンズを基調としたファサードや、ブラウン系の色をベースにした現代風のインテリアなど、国内他店舗とは差別化を図った。デザインは、「自由の女神」の修復を監修したフランス人建築家、ティエリー・デスポンが担当。オープンを記念して、新作ジュエリー「マーキッサ・コレクション」を発表した。

アメリカ・ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館には、彼が寄贈したジュエリー・コレクションが陳列され、世界の有名なダイヤモンドの約3分の1は一度はハリー・ウィンストンの手の中にあったといわれている。マリリン・モンローは、映画「紳士は金髪がお好き」(1953年)の中で、「ねえ、ハリー・ウィンストン、ダイヤモンドのこと、何でもいいから教えて…」 と歌った。

ハリー・ウィンストンは石が大きく綺麗なのが有名で、商売上はリスクの大きい、資産性の高い高価な宝石を扱うビジネスを成功させたのが功績。なかでも「ウィンストン・スタイル(ウィンストニアン・スタイル)」と呼ばれる宝石と宝石を細いプラチナのワイヤーでつなぎ、留め金の使用を極力抑え、あたかも宝石だけがちりばめられているかのようなセッティングは、あらゆる方向に輝きを放ち、ジュエリーのデザインとセッティング方法に革新をもたらした。このスタイルは、ハリー・ウィンストンがクリスマスの頃、扉に飾られたヒイラギのクリスマス・リースを見てヒントを得たといわれている。

銀座にはカルティエティファニーショーメヴァン・クリーフ&アーペルと数多くのジュエラーが軒を重ねてますが、その中で最も敷居が高そうなのが、ここハリー・ウィンストン。別に店員の接客が悪いとかいうことはないのですが、なんか威圧感があります。冷やかしで入るのが辛い店です。でも、ここの石って確かにきれいなんですよね。

公式サイト
Harry Winston

歴史、サロンの紹介、ニュースに「HOPE」や「テイラー・バートン」などの有名ダイヤの紹介。日本語ページもあり。

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旗艦店
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