Rochas ロシャス France.

歴史・解説

ロシャスは1925年、マルセル・ロシャス(Marcel Rochas)によってパリに創立された。マルセル・ロシャスは1902年、パリに生まれ(1955年死去)、結婚後の1925年フォーブル・サントノーレにクチュール・メゾンを出店。すそをひきずるようなサファリ・スーツやシープスキンのジャケット、コルセットなどさまざまなアイデアを発表。国際的な評価と20世紀ファッションの多くを予言したデザイナーとして知られる。1930年には「ガラ」と呼ばれる大夜会で自分の顧客8人に同じドレスを着せてあえて鉢合わせさせるという、当時(今でも?)のタブーを犯したドタバタ劇を仕組んだなどのエピソードも知られている。

ロシャスは30年代に、ホワイトカラーを特徴とした白と黒のドレスを発表。ストロングショルダーが彼の特徴となる。1933年、後のスキャパレリ(SCHIAPARELLI)をイメージするようなビッグショルダーを発表。後に、スキャパレリと、この肩幅の広いシルエットのアイデアの主導権を巡って論争となる。

若々しく、シンプリシティ、個性を信条とした戦後モードへの先駆的な作品も多く、1932年のグレーフランネルのスーツ、1939年のシャツ型ブラウス、1941年には、砂時計型にロングスカートを組み合わせたディオールのニュールック風デザインを発表。そして1943年、彼の発明となるビスチェ(bustiers)を発表する。20世紀が進むとともに、コルセットの役割は減りつつあったが、1940年代には、ディオールがニュールックで細いウエストに注目が集まり、1945年には、マルセル・ロシャスは、腰まで覆った・ストラップブラ・ガードルを導入した。

50年代には、ロシャスは、カジュアルパンツやスーツへと転換。それは、またロシャスの別な斬新さをアピールすることとなる。ロシャスは、フラワーパターンを好み、四分の三丈コートをアピールし、スカートに始めてポケットを付けたデザイナーとしても知られている(諸説あります)。また、彼もまた、アクセサリー分野にも進出し、彼のブティックでそれらを販売した(当時、服のデザイナーとアクセサリーのデザイナーは完全に分かれていました)。

映画などにも深く関わり、自ら出演するほか衣装デザインも手がけ、Joan Crawford(ジョーン・クロフォード)、Marlene Dietrich(マレーネ・デートリッヒ)、Jean Harlow(ジーン・ハーロー)らに愛された。

1955年、マルセル・ロシャスは53歳で死去。ロシャスの妻、Heleneが、デザインを引き継ぐ。その後、多くのデザイナーがロシャスで働くこととなる。

1987年には、ドイツの化粧品大手ウエラが、ロシャスを買収。服よりもフレグランスブランドとして、名声を高めることとなる。1989年、アイルランド人デザイナー、ピーター・オブライアン(Peter O'Brien)がチーフ・デザイナーとして参加。オブライエンは、ロンドンのセント・マーティン(Central St. Martin's)とニュー・ヨークのパーソンズで学び、マルク・ボアン(Marc Bohan)、ディオール、ジバンシイ、クロエでキャリアを積んでいた。やがて、ロシャスはプレタポルテの開始を決定し、オブライエンは、2002年10月パリ・コレクションにおいて、ロシャス初のプレタポルテ、2003春夏コレクションを発表する。

2002年11月、ピーター・オブライアンが去ると、ロシャスは、わずか25歳のベルギー人デザイナー、オリヴィエ・ティスケンス(Olivier Theyskins)を次期デザイナー(アーティスティック・ディレクター)に採用する。

2003年、P&Gがウエラを買収したことで、ロシャスのファッション部門とフレグランスも獲得。2006年、オリヴィエ・ティスケンスのデザインは評価されていたものの、赤字が続き、P&Gは2006年7月にフレグランスは残した上で、ファッション部門を閉鎖。オリヴィエ・ティスケンスは二ナ・リッチのデザイナーに就任した。

2008年10月プロクター・アンド・ギャンブルはオンワード傘下のイタリアのメーカーGibo Co. SpAとロシャスのグローバルライセンス契約を締結。Gibo Co.はロシャス・ブランドの既製服を展開する。新クリエイティブディレクターにホルストンのデザイナーだったMarco Zaniniを指名。最初のコレクションは2009年3月の2009-2010年秋冬コレクションで披露される。

オリヴィエ・ティスケンス(Olivier Theyskins)

オリヴィエ・ティスケンスは1977年1月4日、ベルギー・ブリュッセル生まれ。ベルギー人の父とフランス人の母を持ち、Ecole Nationale Superieure des Arts Visuels de la Cambreで6ヶ月間だけ学び、彼がデザインしたドレスをたまたま、マドンナのスタイリストが彼女に見せたことにより彼の運命は一変する。世界中の誰もが、まだ、彼の名前を知らなかったにも関わらず、1999年のオスカー授賞式で、マドンナはオリヴィエがデザインした黄色いドレスを着用。彼の名前が一夜にして世界中に鳴り響くこととなる。

2001年秋、自らのブランド名で初のコレクションをパリで開催。1920年代のジーン・ハーローとグレタ・ガルボをイメージしたこのコレクションは大成功を収める。続いて2002年春夏コレクションも好評を収め、彼がパリの若手デザイナーの中で、最も有望な一人であることを証明した。2002年11月、ロシャスのチーフ・デザイナーに指名され、2003年3月の2003年秋冬で、彼の最初のコレクションが披露された。

ディスケンスの服は、マドンナの他、ニコール・キッドマン、ジェニファー・アニストンらが着用し、各有名ブランドから様々なオファーが寄せられたが、その中から彼はあえてロシャスを選んだ。「私が知っていたロシャス、それはまさに私向けでした」。

2004年オリヴィエ初のクリエイトによるフレグランス「Poupe(プペ)」発売(日本では5月発売)。フランス語で「人形」を意味し、ロシャスの名香「ファム」にインスピレーションを得た。ロシャスの洋服がかかるハンガーと同素材のオレンジのキャップに、オレンジの香り。

日本では香水と同様にウェアもブルーベル・ジャパンにより、2004-2005年秋冬から輸入販売される。

Marco Zanini

Zaniniはドナテッラ・ヴェルサーチの下、レディスウェアを長年、デザイン。2007年1月にホルストンのデザイナーに就任したが2008年7月に辞任している。

公式サイト

Rochas (英・仏語)

フレグランスとファッションに分かれていて、ファッションでは、最新のコレクションやパリのブティックを見ることができる。

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