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Gianne Versace ジャンニ・ヴェルサーチ Italy |
歴史・解説
ジャンニ・ヴェルサーチは1946年12月2日、イタリア、レッジオ・カラブリアに生まれる。ブティックを経営していた母親の影響を受け、幼い頃からモードに関心を持つ。母親の下で働いたあと、ミラノへ。その巧みなカッティング技術が評判を呼び、72年「ジェニー」のデザイナーにスカウトされる。その後、「マリオ・ヴァレンティノ」の皮革部門や、「コンプリーチェ」の契約デザイナーとして活躍したあと、78年「ジャンニ・ベルサーチ」として初のレディースとメンズコレクションをミラノで発表。未来的な先端技術と天然素材を巧みに使った、その表現は尊厳を持って迎えられる。同年、兄、サント(Santo、社長)の協力をへて、ジャンニ・ヴェルサーチ社に設立。ミラノのスピーガ通りにブティックをオープン。1981年には、香水の発売を開始し、1982年には、イタリア婦人服デザイナーの最高賞であるゴールド・アイ(キッキオ・ドーロ) 賞を獲得した。さらにニューヨークのカティ・サーク賞を受賞し、その才能は一気に世界に認められるようになり、日本にも進出することになる。 1986年には、大統領から、勲3等を授与されるなどの世界中の注目を浴びる。90年にはパリでオートクチュールを発表。
以後、プレタポルテの「ジャンニ・ヴェルサーチ」に、ヤングラインの「ベルサス(VERSUS)」やジーンズライン「Versace Jeans Couture」、オートクチュールラインの「アトリエ・ヴェルサーチ(ATELIER VERSACE)」、スポーツラインの「VERSACE SPORT」、テーラードなビジネスライン「Versace Classic V2」、1993年には子供向けの「Versace Young」、コスメの「Versace Beauty」など複数のラインを次々発表。しかし、1997年7月15日にマイアミで凶弾に倒れる。
ジャンニの死後、98年春夏レディスコレクションからは妹のドナテッラ・ヴェルサーチ(Donatella Versace)が引き継いでいる。ドナテッラ・ヴェルサーチ(Gianniの妹)は1959年、カラブリア(イタリア)生まれ。フィレンツェ大学で言語学を学んだあと、ヴェルサーチの広告キャンペーンの仕事からキャリアをスタート。1993年に子供のライン(ヴェルサーチ・ヤング)を作り、続いてヴェルサスのヘッドデザイナーに就任。現在副社長兼すべてのブランドを統括するチーフデザイナーとして、ブランドの核となる役割を果たしている。
2004年何度かの中断を経て、オートクチュールから撤退。2005年春には、マドンナをキャンペーンフォトに起用。撮影はマリオ・テスティーノ。テーマは「オフィスの女性(women in the office)」。スタイリストはBrana Wolf。「彼女はアイコンです。彼女は、彼女のフィールドでの革新者であり最高です。彼女はすべての世代の女性の憧れであり、独特のスタイルを持ち、私とこのブランドの長年の友人でした」 とドナテッラ。2005年秋冬のキャンペーンモデルはデミ・ムーア、2006年春夏はハル・ベリー。
ジャンニがオペラに情熱を傾けたように、ドナテッラは現代音楽をショーに取り入れています。コレクションでは、ボーイ・ジョージがDJを担当し、その内容は派手で、セクシー。ナオミ・キャンベルらスーパーモデルが、モンローウォークで登場し、華麗な色彩に彩られたコレクションを展開します。見ていて、一番楽しいコレクションといえるでしょう。デビューからわずか20年で、これだけの規模に拡大したブランドもそうはないでしょう。ジャンニの死後、ドナテッラの才能を不安視する声も一部にはありましたが、今ではそれが杞憂に過ぎなかったことを彼女自身が証明しています。国内では、イタリア本社、三井物産、サンフレール系列のヴェルサーチ・ジャパンによって展開されていましたが、現在ではヴェルサーチ・ジャパンはイタリア本社の100%出資会社となっています。
Gianni Versace(英語・伊語)
コレクションの模様など。
ショップリスト
Gianni Versace
旗艦店
東京都千代田区紀尾井町4‐1 Tel 03‐3262‐2777 11:00‐20:00 無休
AM11:00-PM8:00
ミラノ、パリ、ロンドンに続く世界で4番目の旗艦店。1000平方メートルの空間に100本を越える古代ギリシャ風の林が乱立し、床にはビアンコ・クレーモという温かみのある特殊な大理石。壁面にはイタリアの職人が描いただまし絵が覆う。