Yves Saint Laurent イヴ・サン ローラン France

解説・歴史

イブ・サン ローランは1936年8月1日、フランス領だったアルジェリアのOranで誕生。17歳で国際羊毛事務局(IWS)のデザインコンクールでカクテルドレスが最優秀賞を受賞。翌年、「ヴォーグ」誌の編集長だったド・ブリュノフの推薦により、ディオールのメゾンに迎えられる。1957年、ディオールの急死を受け、わずか21歳でディオールの後継者に任命され、継承後、初のコレクションである1958春に、「トラベーズ(台形)・ライン」を発表。「ヴォーグ」は「議論の余地のない完全な成功」と絶賛した。

しかし、その後発表したひざ丈のホッブルスカート(裾幅の極端に狭いスカート)や、「ビート・ルック」と称されたストリート感覚のスタイルはディオールのエレガンスにそぐわないとして、不評だった。一説には、彼の感覚が一般の客よりも先に進んでいたせいともいわれる。

その後、アルジェリア戦争に召集され、ディオールは代理の主任デザイナーに当時34歳だったマルク・ポワンを起用。ポワンは1回目のコレクションで「スリム・ライン」を発表し大好評を得た。イヴがパリに戻ったときにはディオールのデザイナーには、マルク・ポワンが採用され、彼は事実上解雇された。

1961年、イヴはPRマンだったピエール・ベルジュと組み独立して、メゾン「イブ・サンローラン」を開設。バレンシアガを意識したニューモードは好評を呼び、プレタポルテの「イブ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」の1号店をパリ左岸に開いた。1963年、サン・ローランは、近代ポスターのパイオニアであり第一人者であるカサンドラ(A.M. Cassandre)に自らのロゴのデザインを依頼。YとS、Lを華麗に組み合わせたロゴはこのとき生まれた。以後、ロゴを用いたデザインは「カサンドラ・ライン」と呼ばれることとなる。65年に発表した「モンドリアン・ルック」はサン・ローランの名を一層、高めることとなる。

ココ・シャネルは「サンローランこそ私の後継者」と発言し、60年代後半にはそれ以外にも、大腿部までのロングブーツやサファリ・ルック、シースルー・ドレス、ポップアート・ドレス、ミリタリー・ルック、パンタロン・スーツなどを発表。どれもファッション界に衝撃を与え、70年代にはコサック・ルックやフォークロア調の服が知られ、その頃からオートクチュールにも磨きがかかり、その巧みな色彩感覚とともに「モード界の帝王」と呼ばれる。1998年、フランスワールドカップを記念してブランドの歴史を振り返るような壮大なコレクションを開催。

だが、1999年、LVMHがグッチへの敵対的買収をかけた騒動の余波を受け、仏ピノー・プランタン・ルドゥット(PPR、流通業)のオーナーである仏実業家のフランソワ・ピノーは、同氏のホールディングであるアルテミスを通じて、仏サノフィ・ボテ(化粧品・香水、仏イヴ・サン・ローランを傘下に置く。仏石油エルフ・アキテーヌ傘下)を60億フランで買収し、同額でグッチに再売却すると発表。これにより、YSLはグッチグループに入り、デザイナーもアルベール・エルバスを経て、2000年、トム・フォードがYSLクチュール社のクリエイティブディレクターに就任。当初、オートクチュール部門はアルテミス傘下に残ったため、イヴ・サン・ローランと、イヴ・サン・ローラン・オート・クチュールの間には、資本関係はなくなったが、同じヴィジョンを以て経営に当たることになるとされ、サンローラン本人が担当することで、その「創造性を発揮できる」場所を確保した。グッチは、イヴ・サン・ローランのライセンスの大半を更新せず、経営体質の改善を図った。

トム・フォードによる初のYSLコレクションとなった2000年春夏のメンズコレクションで、彼は60年代後期のサンローラン絶頂期ともいえる、ウェストシェイプ、ハイショルダー、フレアージャケットのスタイルを打ち出し、大絶賛を受けた。2001年9月29日、日本国内でも新生イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュの旗艦店となる青山店がトム・フォードによるメンズ・ウィメンズのコレクションをそろえてオープン。そして、2002年1月22日に行われた、パリ オートクチュール・コレクションを最後に、イヴ・サンローランは引退。オートクチュール部門は閉鎖され、今後はリヴ・ゴーシュのみの展開となった。

2003年、ブランドステータスを引き上げるため、停止していたロゴを用いた「カサンドラ・ライン」を復活。YSLのロゴをバックポケットに刺繍したジーンズなどを展開。

2004年3月、トム・フォードとドメニコ・デ・ソーレの辞任に伴い、2005春夏からトムの右腕でプラダ出身のステファノ・ピラッティがクリエイティブ・ディレクターに就任。

2005年3月青山に次ぐ、旗艦店を丸の内にオープン。2006年2月エスキスの改装に伴い、表参道ヒルズに旗艦店をオープン。

2008年6月1日の夜、イヴ・サンローランがパリで亡くなった。71歳。公私にわたるパートナーだったピエール・ベルジュ(Pierre Berge)はサンローランが長年にわたって脳腫瘍をわずらっており、1日の午後11時10分に亡くなったことを明らかにした。最後の瞬間にはベルジュと長年の友人でミューズでもあったBetty Catrouxが付き添っていたという。告別式は5日午後3時30分に、パリのEglise Saint-Roch at 296 Rue Saint-Honoreで行われ、ステファノ・ピラッティやフランスのサルコジ大統領も参列。モロッコ・マラケッシュのMajorelle Gardenに埋葬される。
ベルジュは「シャネルは女性に自由を与えました。サンローランは彼女達ににパワーを与えました」と述べた。
サルコジ大統領はサンローランが最初に「オートクチュールを芸術のランクに引き上げました。その美はすべての男性と女性に必要なラグジュアリーでした」と語った。
大統領夫人で2002年のサンローランの最後のコレクションにもモデルとして登場したカーラ・ブルーニは「経歴の中でサンローランのモデルを務めたことは私にとってとても名誉なことでした。サンローランについて考える時、私のハートは壊れます。彼は特別な芸術家でした」との声明を発表。
「サンローランは、永遠にオートクチュールの歴史に残るでしょう」とフランスのFrancois Fillon首相。
フランスの文化大臣、Christine Albanelは「サンローランは女性の生命に触れました。少しずつ、女性はコルセットを取り除き、彼女らは今、違った形で生きています」と語った。
「ショックです。彼がいたからこそ、私は今、デザイナーをしています。彼は現代における最初の国際的なスターでした」とヴェラ・ワン。
「シャネル、スキャパレリ、バレンシアガおよびディオールはすべて偉大なことを成し遂げました。イヴ・サンローランはそれらすべてのコンビネーションです。彼は、シャネルの形式、ディオールの富、スキャパレリの機知を持っていました」とクリスチャン・ラクロア。 
「サンローランは偉大なファッション・デザイナーでした。彼が手がけたものはすべて完璧でした」とヴィヴィアン・ウエストウッド。
「サンローランは、現代のファッションを革新しました。彼の遺産は常に記憶されるでしょう」とカルバン・クラインのデザイナー、フランシスコ・コスタ。
森英恵はサンローランが他のデザイナー以上に女性を理解していたとして「彼は特別な人でした。いつでも、彼は、現代女性は何かというのを理解していました。彼は、働く女性のために洗練されていながら快適なパンツをデザインしました。それは非常に機能的でありながらエレガントでした。シルクのブラウスとプリント・シャツを組み合わせることで彼は男性のスタイルを女性の外観にすることができました。私はそれを愛しました」とし、今でも多くのYSLスーツを所有していることを明らかにした。
「パンツルックが始まった時、私はそれを行いませんでした。それは女性の最もセクシーな財産である脚を隠すものだと思いました。しかし、彼は、働く女性のための鋭い目を持っていました。彼は正確に時代を予言しました。彼は世界を変化させました。彼はファッション界の皇帝です」と芦田淳。
ヴォーグ英国版のAlexandra Shulmanは「サンローランがファッションを民主化させました。裕福な人々だけが小さなサロンを持っていた時代にサンローランはそれを人々に持って来ました。ポップスターは彼と彼より若い世代と親しくしました」とコメント。
「女性を輝かせ、女性の美とミステリーを解放するためにイヴ・サンローランはその情熱ですべてを発明し、すべてを再訪し、すべてを変形させました」とPPRのフランソワ・ピノー。
「サンローランは天才でした。彼は最後のアイコニックなデザイナーでした」とCollette Dinnigan。
「彼は完全に女性の衣装を改造しました。彼のファッションは色に溢れ、芸術によってインスパイアされました」とシャンタル・トーマス(Chantal Thomass)。
YSLボーテを買収したロレアルのCEO、Jean-Paul Agonは「私たちはすべて、私たちを永遠に悲しませるこのニュースによって衝撃を受けています。イヴ・サンローランは女性のファッションおよび美を革新した天才でした。今日、YSLはグローバルなブランドとして確立されており、私たちはその世界的な開発を加速させるつもりです」とのコメントを発表した。

2012年3月5日、2012年秋冬コレクションを披露した後、Stefano Pilatiは8年務めたイヴ・サンローランのクリエイティブディレクターを辞任。後任にはエディ ・ スリマンが就任。スリマンはメンズ・レディス合わせ、会社全体の創造的な責任を負うが、写真家としてのキャリアも続ける。「エディ・スリマンの優れた才能とイヴ・サンローラン精神の理解はメゾンに新しい章を告げます」とYSLのCEO、Paul Deneve。「最も重要なフランスのファッションハウスの一つとして、イヴ・サンローランはエディ・スリマンのビジョンによって今日、強力な可能性を持っています」とPPRの会長兼CEO、フランソワ ・ アンリ ・ ピノー。スリマンの初コレクションは6月の2013年リゾートコレクションとなる。

2012年6月、新クリエイティブ・ディレクター、エディ・スリマンによってブランド名がサンローラン・パリに変更される。サンローランのCEO、Paul Deneveはスタッフへの内部メモで「私たちのブランドの歴史とビジネスにおいて刺激的なステップをお知らせします。ファッションとラグジュアリーにおける真のリーダーとなるために私たちは『イヴ・サンローラン』から『サンローラン・パリ』にブランド名を変更しています。大胆な変更は私たちの伝統と遺産を祝います。それは私たちがYSLの基礎に戻り、1966年に『サンローラン・リヴ・ゴーシュ』が始まった時の若くて自由でモダンな精神と意図をよみがえらせます」と発表。ただし、象徴的なYSLのロゴは今後も維持されるが、スリマンは「リヴ・ゴーシュ」が始まったときに使われたオリジナルフォントも再紹介する予定。

グッチ グループ ジャパン イヴ・サンローラン ディビジョン 
イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ TEL 03-5766-3788

ショップリスト

旗艦店
表参道ヒルズ店 東京都渋谷区神宮前4-12-10 TEL 03-5785-0750
丸の内店 東京都千代田区丸の内3-2-3 Tel 03-5220-7773

インショップ
札幌大丸 札幌市中央区北5条西4丁目7番地 TEL 011-200-4131
池袋西武 豊島区西池袋1-28-1 TEL 03-5992-6875
渋谷西武 渋谷区宇田川町21-1 TEL 03-3462-3449
渋谷東急 渋谷区道玄坂2-24-1 TEL 03-5728-3035
新宿伊勢丹(レディスのみ) 新宿区新宿3-14-1 TEL 03-3352-1111
名古屋三越 名古屋市中区栄3-5-1 TEL 052-238-4195
京都大丸 京都市下京区四条高倉 TEL 075-257-8706
大阪ハービスプラザ 大阪市北区梅田2-5-25 TEL 06-6343-7154
うめだ阪急 大阪市北区角田町8-7 TEL 06-6131-3931
そごう心斎橋 大阪市中央区心斎橋筋1-8-3 TEL 06-6281-3111
神戸大丸 神戸市中央区明石町 TEL 078-334-6353
広島天満屋(レディスのみ) 広島市中区胡町5-22 TEL 082-246-5111
福岡スーパーブランドシティ 福岡県福岡市博多区下川端町3-1 TEL 092-263-1688
岩田屋Zサイド 福岡市中央区天神2-5-35TEL 092-739-1756

公式サイト

イヴ・サンローラン(英・仏から選択)
イヴ・サンローラン オートクチュール(まだ、残ってます)

Home | Brand Index